先斗町という街

先斗町という<街>の誕生は、江戸前期とされます。当時、鴨川の護岸工事で新しい堤ができ、整った周囲の土地に人が集まるようになりました。ここは五街道の一つ、東海道五十三次の最終地点・三条大橋も間近。京の人々だけでなく、各地から都に訪れる人々でにぎわい、街は活気にあふれていきます。
<花街・先斗町>は、江戸中期の正徳年間に茶屋が許可されたことに始まります。1世紀を経た文化年間、正式に芸妓が許されました。街を彩る洗練された芸妓、舞妓。親しまれた川の水の流れのように、彼女たちは変わることなく、人々を心地よく迎えます。

先斗町の読み方

初めての人では、なかなか読みにくい「ぽんと」という町の名前。由来はポルトガル語の橋を意味する「ポンタ」、先端を指す「ポンテ」、街を鴨川と高瀬川という2つの川(皮)にはさまれた鼓に見立て、「ポン」という音にちなんだなど諸説が伝わっています。読み方だけでなく、やわらかい言葉の響きもまた印象的です。

先斗町の代名詞「先斗町歌舞練場」

三条大橋のすぐ南に建つ先斗町歌舞練場(1927年完成)。玄関は先斗町側で、建物裏の鴨川から目にされた方も多いのではないでしょうか。大正~昭和初期に流行したスクラッチタイルが表面に多様されたモダンなデザインの建物で、大阪松竹座や東京劇場なども手掛けた劇場建築の名手・木村得三郎氏が手がけました。陶板やテラコッタの装飾も美しく、舞台だけでなく、近代建築の名作としても楽しめます。